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“文華堂てあみ” 開設 - 手の記憶 
June 26, 2008

1年半前に突如、編み物をして老後に備えようと思い立った。アルパカ100%の毛糸を使って9枚のセーターやカーディガンを編んだところで、ようやく “文華堂てあみ” を開設することができ、めでたしめでたし。
年をとってからパソコンでデータ入力を請け負ってお金を稼ぐのではあまりにも切ないではないか。何も生まない作業だ。腕に覚えありではないけれど、手仕事が昔から好きだった。夜遅くまで裁縫をし、編み機にむかう母の後ろ姿を幼いころから見てきた。まさに『母さんは夜なべをして・・・』 の世界だった。直接手ほどきをしてもらったことはないが、見よう見まねで手が動く喜びは母からもらった宝物である。
ちょうど還暦を迎える前の決断だったから、残りの人生を逆算して始めたようなところもある。手編みのセーターを好きな人に贈ったりしていた20代の頃とはちがう。ひと編みひと編み幼稚な愛情をこめてプレゼントした人とは結ばれないという教訓を得たあの頃。「ひと編みひと編み気持ちを込められるとヘビーなんだよなぁ」という声が聞こえなかったあの頃は、おバカだったなあ。
30年ぶりに始めた毛糸編みにひとつルールを作った。材料代と編み代をいただくこと。これなら気持ちが対等になれる。ある物理学者が仕事が来ないとき編み物で生計を立てていた話は憧れだった。最初の一枚から本番のつもりで気合が入った。トップの写真は、れんがいろの総かのこあみセーター。形見分けにもなるので、100枚が目標です。
# by mmaibara | 2008-06-26 23:02 | 最近の出来事
ID&パスワードにこんがらがって
June 10, 2008

このブログの登録 ID & パスワードをすっかり忘れてしまって、どうあがいても思い出せなくて、先回書いてから10か月ぶりに、ようやくたどり着いた。問題はたぶん、ニックネームを作りすぎたせい。ですけーな町奴、末広温泉町の町奴、町小町などなど、言葉遊びが過ぎてこんがらがったてしまった。

最近、ようやくPCモニターを液晶に買い替え、ホームページ・ビルダー12をインストールし、OS を Microsoft Office 2007 にアップグレードし、PCに向かうのが楽しくなった。しかし、Excel 2007 と Word 2007 に慣れるのに悪戦苦闘をした。

PC関連の会社で働くK嬢から、2007 解析ツールをダウンロードしてもらって、もう感激でうるうるしてしまった。Word 2003, Excel 97-2003 の画面で、あるアイコンをワンクリックすと、この解析ツールが、対応する2007 のアイコンのポジションを示してくれるのである。目からウロコだった。

すっかり気を良くして、1年半前に突如始めた、手編みのセーター ”文華堂てあみ” のサイトが今週中にも公開できる。京都の森明子さんという女性が、南米ぺルーの工場に22色の毛糸を発注し販売しておられるアルパカ100%の毛糸で作製するので、やわらかくて、暖かくて、エレガント。私自身が楽しみにしている。


# by mmaibara | 2008-06-10 23:36 | 最近の出来事
帰郷から3年が過ぎて
July 31, 2007 & August 1, 2007

昨年10月26日を最後に、ブログを書くのを中断してしまった。友人、知人からムチが入りやっと復活です!この間、私は還暦を迎えました。は~るばるっ来たぜ60歳、と思ったのだが、父方の叔母は100歳で、おおきく負けている。先日会いに行ったとき、記憶力は抜群だったし、美人だし、死ぬ気がぜんぜんしないといわれて、おそれいりたてまつった。

写真は、マイルームの壁に貼ってあるレコードのジャケット10枚。こうしておくと、タバコのヤニが壁につかないのだ。訪ねて来るひとは、だいたい3枚くらいしか認識できない。どれも30年以上前のものだもの。

さて、3年前の7月31日、わたしは東京から故郷鳥取へ約17年ぶりに帰ってきた。それから同じ風景を見てきたのに、まだ私の知っているとっとりではないのだ。その日のことを書いた、第一回目の 『とっとりマイバラッド』 (産経新聞鳥取版に掲載)のおさらいをしてみようとおもう。行間が現在の感想です。

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 急行はくと。幸せな夜。17年ぶり鳥取モード  

平成16年7月31日午後5時50分、JR鳥取駅に到着。暑い日だった。17年振りの東京から故郷への帰還は、列車でゆるやかに帰ってきた。特急に乗って 「ゆるやか」 はないだろうと言われそうだが、そんな気分だった。列車が山陽本線から北にターンをとり智頭にさしかかると、午後の日差しを受けた山並みが成す深い緑にしばし抱かれて 「ビューティフル」。

深い緑は、雨の多い山陰地方の気候が織り成す重厚な美だと今でも思う。本当に、"beautiful!" って言ったのです。その響きは、英語の中で最も美しい言葉だと私は思っている。

東京と鳥取の往復には、飛行機を利用することが多い。飛行機に乗るのが昔から好きだった。さっそうとテイクオフし、センチメンタルな気分になる前に着いてしまうところが良いのかも知れない。今回は帰省ではなく帰郷なので、鉄道でよかったと思っている。車中で食べた懐かしの 「かに寿司」 は、エッ、こんなに酸っぱかったかなあ。

夏は食べ物が弱りやすいからだと後で気が付いた。焼きさばの入った同社の幕の内弁当が本当に美味いのだって。

ところで、ひとつの県に東京直行便の空港がふたつもあるのは、企業・工場の誘致におおきなメリットと昔聞いたが、今はどうなのだろう。たまにしか帰省しない地元愛の薄い不届きものだったから、これからは鳥取の住民として自分で見聞きしよう。とにかくうわさ話ほど当てにならないものはない。鳥取は保守的な土地柄で未だに "村社会" (広辞苑に載っていないことばを使うなって) だから駄目だというような地元の友人のネガティブな情報も、とりあえず頭から消し去ることにする。

嘘ではないが面白くもなんともないです。米子に住む青年は、美保基地があるからだって教えてくれた。

鳥取駅到着の場面に戻ろう。プラットホームに昔からの友人が出迎えに来てくれているのを見てホッとし、大きく深呼吸をした。直接会うのは10年振りくらいだろうか。お互い50代半ばまで生きてきて、言葉は要らない再会だった。妹と姪っ子が駅前に車で待機しており、こちらも嬉しい再会。鳥取駅前の空間はアートな装い。東京のともだちが見たら 「まあ、シティーだわね」 とでも言いそうだ。

JR米子駅のホームには、2000年の西部地震の傷跡がいまだ残っていて悲しく思った。倉吉駅は地方の駅らしさがあってほっとした。鳥取駅は県庁所在地だからか、ちょっと気取りすぎです。えらそうに。

しかし、人がいない!これが、鳥取に降り立った最初の印象だった。その夜は、これから住むことになるアパートで、飛魚 (あご) の刺身、とうふ竹輪を肴に、ビールで妹たちとささやかに乾杯。夏の夜のとばりが下りる中、しばし幸せであった。

ほんとに人がいなくて、ただ事ではないぞとあらためて感じた瞬間だった。私は3年間の職探しで、ないないづくしだった。それでも発想の転換が必要だ。何より全国に誇れる自然環境がここにはある。

この年の冬が来て、年末から降り続く山陰地方の雪の洗礼を受け、ようやく頭が鳥取モードになった気がした。

雪を見て、ほんとうにふるさとに帰ったのだと実感した。Uターン組は、新年度を秋頃から迎えると、定着するための心の準備ができていいと思うのだが。

タイトルの 『とっとりマイバラッド』 は、鳥取のことを外からの視点で愛情を込めて書いてみようと考えたから。歌でいうバラッド (バラード) は哀調を帯びたスローな曲のことを言うのだが、哀愁のとっとりではありません。

愛情の中には意地悪も入っているし、正直、"哀愁のとっとり" でいいのではないかと思っていた。

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# by mmaibara | 2007-07-31 21:57 | 最近の出来事
島根と一緒じゃ、けしからん
October 19, 2006

ご近所のカメラショップのご主人が、「増田さん、ちょっとこの本を見てくださいよ。こことそれからここと・・・」 息を切らしてお店から追っかけて来られた。「息子に地理を教えようと思ってこの本を買ったら、宍道湖が鳥取県になっとりますがなあ。出雲大社も鳥取県になっとって間違っとりますで」 「けしからんですなあ」。これは、『IQパズル日本地図に挑戦!』 という売れ筋の本なのだ。確かにおかしいが、これはやっぱり、島根県の住民が ”けしからん” と言うべきであろう。さてどうしたものか。

「鳥取はどんなところ?」 ときかれるとき、外国のひとたちには地理的把握を考慮して、次のように紹介する。

「鳥取は、日本列島の西側に位置し、京都と広島の真ん中辺りで (京都や広島は、歴史的に認識されているので助かるのだ)、日本海に面しており、海の向うは朝鮮半島である (これは、ちゃんと言っておかないと案外分からない)。鳥取砂丘という全国的に知られた名所があり、早朝に見られる風紋は芸術のよう」 「ラクダがいて観光客の相手をさせられるのは、ちょっとたいへんそうだ」 という私情を少しは入れる。

「鳥取市の人口は、合併によって20万都市になったが、経済は厳しい状態。城下町の名残でコンサバな土地柄だが (城下町は、サムライ・タウンと我流に訳す)、ひとは親切で、豊かな自然が享受できる」 と、これでいける。

それでは、「鳥取」 を東京で聞かれるとどうなるか。ディテールがいる。「うーん、有名なのは、鳥取砂丘と、大山と、二十世紀梨と、松葉がにくらいかなあ」 「因幡の白うさぎの歌知ってる?」 「とにかく湿気が多くて体に悪いのなんのって」 などと、歯切れが悪い。「そうだ、日本三大仇討ちの主人公、渡辺数馬と、助太刀の剣豪・荒木又右衛門の墓が鳥取市にあるのだ」 と言ってはみても、江戸時代の話に、若いひとたちはピンと来ないか。いやいや、最近時代劇にはまっている若者もいるらしい。

いちばんけしからんのは、鳥取県も島根県もごったにされることである。砂丘は、島根県にあると思っている人もいるのだ。島根県の方が知名度が上なのだろうか。素っ頓狂なことを言うようだが、鳥取を舞台にした新たな小説が出てくるとアピールになるのに。癒し系ではなく、片田舎で繰り広げられるハードボイルド物がよろしい。例えば、志辰(志水辰夫)の小説みたいな・・・。とにかくスカッとしたいなあ。


# by mmaibara | 2006-10-20 00:21 | エッセイ
広島市民球場&広島平和記念公園
October 6, 2006

9月23日(土) 6時20分発の広島行きバスに乗る。
バスの中に広島カープファンがいるいる。真新しい赤いキャップが自慢そうだ。5時間かかっても試合を観に行く心意気。手前のグレーのキャップは、’98年に横浜が日本一になったときの記念の帽子である。片道料金4400円。バスは快適だった。

11時15分着 広島市民球場で、広島カープ vs. 横浜ベイスターズ戦観戦。
抜けるような青い空。野球観戦には絶好の日和だ。外野スタンドは運動会シーズンさながら、赤帽に白いシャツで埋め尽くされている。他球場ではご法度のアルコール飲料の持ち込みもここではお咎めなしと、同伴者と真昼間からビールと焼ちゅうと味噌カツで良い気分。隣接のSOGOデパ地下で仕入れてくださった弁当は美味しかった。北海道や福岡の盛り上がり、東北の楽天も健闘している。野球の地方分権が進む気配があるような。がんばれ、広島カープ!

9月24日(日) 広島平和記念資料館・広島平和記念公園へ
初めて訪れた資料館。原爆で焼けただれた衣服の陳列が胸にグサッとささった。人間が着ていたものだから。




広島中心街の路面電車
鉄砲町とか八丁堀とか、古くからの地名が随所にみられる。道路の幅の広さと、そびえるビルを見る限り都会である。鳥取市の循環バス 「くる梨」 が通りを走ればおもちゃに見えるのではないか。それでも地元の人は「広島は田舎じゃけえ」と言うのだろうか。

# by mmaibara | 2006-10-16 18:33 | 最近の出来事
漫画 『父の暦』 優しい鳥取弁
September 20, 2006

10年ほど前のことだが、なぜだか北海道出身の友人が 『父の暦』 という漫画を見つけたといって、持ってきてくれた。著者が谷口ジロー氏と知って驚き、感激した。小中高とクラスは違ったが、ご町内だった。ふるさとの同級生の活躍は元気が出る。

昭和27年4月の鳥取大火のこと、昭和29年4月の選喬小学校の入学式の日のこと、駐留軍が宿舎にしていた、樗谷 (おおちだに) 公園近くの古い洋館は私も住んでいたことがあり、谷口氏の鮮明な描写がすばらしい。同じ風景を共有したひとりとして、『父の暦』 に涙し、鳥取弁は優しいと感じた。この一冊が有れば、東京に住んでいても鳥取弁と子供時代を忘れずにいられると感謝の気持ちでいっぱいであった。

谷口氏が、第2回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞した 「『坊ちゃん』 の時代」 は、神田の本屋街で入手した。馴染みのマンガ本専門店の店主が、「彼は、犬を描くのが実に上手いねえ」 と自慢げに言っていた。神田本屋街界隈は、東京に暮らしていて、こころのバランスを保てる場所であった。

あろうことか、数年前から、本もCDもインターネット購買をしている。先日、近くの新古書店で、二千円のハードカバー本を百円で買ってしまった。同じく同級生の一人が市内でご主人と、『定有堂書店』 という、とてもユニークな町の本屋さんを経営していて鳥取で文化を守っているのに、ごめんなさい。時代と上手に折り合いをつけて生きていかなければならない現実もまたあり。
# by mmaibara | 2006-09-20 10:58 | エッセイ
引越し
September 12, 2006

ついのすみかにするつもりで1週間前に越してきた。といってもアパートの6階から3階への引越しである。決め手は、南向きの角部屋であることだろうか。ここは末広温泉町。飲み屋街のそばにありながら、裏通りに面しているので、いたって静かだし緑もある。

広めに取ってある窓からローカル列車を眺める。ツー・ユニット (2両編成) の列車が、カタンコトン、カタッコトッ、カランコロン (擬音を言葉にするのは難しいが) と目線の向うで行き来する。部屋と線路がパラレルになっている構図だ。椅子に座って、赤と白の混色の、かわいらしい列車を眺めていると、まるでロキング・チェアの中にいる気分だ。心地よくて、体が動きたくないよーというのだ。

生活の事情やら仕事の事情やらで、二桁以上の引越しをした。もともと家を持ちたいという欲はまるで無くて、旅するおばさんで生きてきた。アメリカに住んだり、東京に住んだり、病院に長逗留をしたり、いろいろあったが、どうやら目の前にあるスローテンポな風景がだんだん気に入ってきた。

70年代の歌で、ずっと聞き続けている大好きな歌です。

<引越し> 浅川マキ 作詞・作曲
   今日 この部屋に 
   西陽が あたりました
   近いうちにこの部屋出て行く
   ※今夜も窓の外
     靴の音かと耳を澄ますと
     あれは遠い日のロマンス
     わたしはもうじき
     このアパート出て行く

   ※せめて前の家の 
     あの少年だけには
     気付かれぬように
     わたしはもうじき
      このアパート出て行く
# by mmaibara | 2006-09-12 23:06 | 最近の出来事
『来年があるさ』 Wait Until Next Year
September 7, 2006

『来年があるさ』 って、横浜ベイスターズのスローガンみたいだ。漫画家やくみつる氏は横浜ファンでもあるが、日本一になった年のTVの番組で、「横浜ベイスターズは、じつは ”スター” ではなく、”コメット” ではなかろうか」 と言っていた。何十年に一度しかやってこないからだ。「次の優勝のとき、僕は70歳になっていますかねぇ」 じゃあ私はもう見れないってことか。それでもファンを続けている。牛島監督、辞めないでほしいな。浪商のヤンキーボーイだったころより今のほうがずっとカッコいいのに。

この、『来年があるさ』 は、本のタイトルである。著者ドリス・カーンズ・グッドウィンは、正統派の歴史学者でピュリッツァー賞作家。1950年代、ドジャースがニューヨーク郊外のブルックリンを本拠地にしていたころの話で、家族の物語でもあり、良いストーリーです。著者が6歳のとき、父親から小さな赤いスコアブックをプレゼントされてから、連日ラジオを聴きながら、とったデータは数百試合にのぼるというから筋金入りだ。ストーリーテラーとしての能力も、このスコアブックのおかげで培われた、と彼女は言う。【訳者あとがき】 より。

こんな環境に育った女の子が、私はうらやましくてしょうがない。スコアラーが女性の職業としてあってもいいだろう。ところで日本野球の通訳はすべて男性である。野球人気が低迷するなか、女性の通訳を配置するのも ”あり” だと思うのだ。もちろん熱狂的野球マニアであることが条件だが。こんど生まれてきたら、そのどちらかに私はなりたい。

『ドジャース、ブルックリンに還る』 という小説もとても面白い。他にも優れた野球小説があるので、そのうちご紹介します。
# by mmaibara | 2006-09-06 17:09 | 映画と本と音楽の日々
中国地方にも独立リーグを!
September 6, 2006

東京は江戸川区小松川に10年間住んだ。ここは小松菜の発祥の地である。荒川のすぐそばに位置していて、団地の一階の部屋から百㍍歩けば河川敷まで到達する。私はここの風景が好きだった。私の記憶の中にある鳥取市を流れる千代川周辺とよく似ているのだ。違いは、川向こうに見える都心の赤い灯青い灯。その河川敷で、毎年、春から夏場まで楽しみがあった。今年もプロ野球が開幕したので、今回は野球の話です。

ラジカセとビールとおにぎりを持って、川風に吹かれながら、ラジオのナイター中継をいつも聞いていた。某局の解説者はおじいちゃんだが、すっとぼけているようで実は言うことがピタッと当たっていてファンだった。「行けー」 とか 「打てー」 とか叫んでちょっと恥ずかしかったかな。ひいきのチームは、大洋ホーエルズ→横浜ベイスターズ。

昔の話で恐縮だが、大洋に、藤井勇という名選手がいた。3番青田昇、4番藤井勇コンビの時代があった。晩年は阪神タイガースのスカウトをされた。藤井氏は鳥取一中 (今の鳥取西高校) で父と同級生だったので、物心ついた頃から父の影響で大洋を応援していた。万年Bクラスもなんのその。好きなんだからやめられない。1998年の日本一は、うれしいどころの騒ぎではなく、この優勝年の新聞・雑誌・ビデオなどは、大切に保管してある。

直木賞作家、赤瀬川隼さんの近未来野球小説 『球は転々宇宙間』 (昭和57年出版)をご存知だろうか。『1980年代の終わり、日本プロ野球は3リーグ18チームの時代を迎えていた ・・・・』 。野球改革元年といわれる今年のプロ野球だが、地域密着の野球文化について書かれたすばらしい小説なのだ。このエッセイが新聞に掲載された後の、8月3日の産経新聞のコラム “産経抄” でこの小説が取り上げられていて、わたしはしてやったりの気分になったことを告白しておこう。

四国独立リーグが誕生したが、中国独立リーグ構想をだれか真剣に考えてくれるひとはいないか。わたしは宝くじが当たったら考えよう。ちなみにその小説に出てくる中国地方の球団名は、『岡山モモタローズ』 と 『広島ドリンカーズ』。来るべき日のために、鳥取チームのネーミングを考えてみた。『鳥取キャメルズ』 あるいは 『鳥取ペアーズ』 というのはどうか。サッカーでもゴルフでもいい、スポーツで活躍するスター選手を輩出すれば鳥取県は明るくなるのにと、東京の空の下から願っていた。

<後記: このときはまだ、『鳥取キタロウズ』 は生まれていなかった>
# by mmaibara | 2006-09-06 15:33 | エッセイ
漁り火
September 1, 2006

エッセイ 『とっとりマイバッド』 Vol. 8 (平成17年5月17日) に、「漁船の集魚灯が青色発光ダイオードに切り替える実験が進められているようだが個人的に支持する。沖にちらつくイカ釣り船のいさり火が消えるとしても、こころにしまっておけばよい」 と書いている。

1ヶ月程前の新聞に、「県水産試験場 (境港市) は今月から、発行ダイオード (LED) を使った集魚灯で白イカ漁をする実証実験を始めた」 と書いてあった。わたしは以前、鳥取市の大手電気メーカーの、LED 関連事業部で働いていたことがあって、このニューズには感慨深いものがある。いいじゃない漁り火が消えたとしても。それでなくたって鳥取には、日本の原風景があると言うひともいて (これは当たっていると思うけれど)、哀愁だらけなんだから。テクノロジーで攻めてほしいという思いはある。

去年の7月ごろだったが、イカ釣り船の漁り火が地平線にぽつりぽつりと数を増していくさまを、なーんて綺麗なんだろう、と車の助手席から見とれていた。車は米子から鳥取に向かっていたからなおさらだった。日本の車両は左側通行だから、意味をわかってほしい。逆向きだとこうはいかない。

これは受け売りだが、夜中に日本海の地平線に灯りが浮かぶと、「あそこは、朝鮮半島なんです」 と鳥取県のことを何も知らない旅行客に説明すると、ふむふむ、ということになるらしい。今度県外からともだちが遊びにきたら、いっちょガイドしてみようか。ああでもちょっと待って。漁り火は消えるのだっけ。漁業関係者のコスト削減が優先されるべきだから、みんな広い心でもって受け入れよう。

きのう賀露港に行って、青と白の LED 集魚灯を搭載したイカ釣り船を探したが見当たらなかった。まだ境港だけかなあ。誰かに訊ねてみようと思ったのだが、まだ日が高かったし、辺りは釣り人ばかりだった。
# by mmaibara | 2006-09-01 09:49 | 最近の出来事
いってきんさいな
August 29, 2006

鳥取に戻って間もない頃、生家のご近所のみなさまにごあいさつをした。「かえってきんさっただか」、 「かえってきただかいや」 という言葉が返ってきて、懐かしい響きだった。すっかりひと気のなくなった本通り商店街で、偶然出くわした中学時代の同級生に、「どーしょーんさっただ」 と声をかけられたが、唇がうまく反応せず返事は鳥取弁にならなかった。長い間使わずにいたから、口の周りの筋肉が鳥取弁に慣れるまで待ってほしい。

東京の生活では、特に会社では、方言が出ないように気をつかった。田舎弁を恥じていたのではないが、例えば、電車の中で、同県人同士で鳥取弁をまくし立てたら周囲はビックリするだろう。しかし、関西出身の人たちは、東京であれ、堂々と関西弁で通すし、電車の中で会話が聞こえてきても誰も変な顔をしない。関西弁は全国区なのだ。

鳥取で英語の私塾を開いていた時、鳥取弁を題材に遊んでいた。例えば、「いまこっちにきょーんさる」 は英語でどう言う?と質問する。答えは、"She (or He) is coming"。前出の 「どーしょーんさっただ」 は、"How have you been?" といった具合である。逆のパターン (英語から鳥取弁) も取り入れた。 "What the hell are you doing here?" は、「あんたやーなにしょおんさるだこんなところで!いけんでしょうが」 といった具合である。

好きな鳥取弁をひとつ挙げるとすれば何かという話を、同郷の友人と話したことがある。彼は東京の出版社の有能な編集人で、言葉のセンスがある。お気に入りは 「わったい!」 (驚いたときの表現) なのだそうだ。

わたしは、「いってきんさいな」。34才でアメリカ留学を決心したときに、母が送り出してくれた言葉である。今でこそ、グローバリゼーションが進んで海外留学は珍しくも何ともないが、20年以上も前のことだから、送り出すほうも勇気がいったのではなかろうか。ふるさとの言葉は、母の言葉という気がする。
# by mmaibara | 2006-08-29 22:33 | エッセイ
イタリアの古いお皿が届いて
August 27, 2006

8月も終わりごろだったと思うのだが、その夜は、空気がもやっとしていて無風だった。それは、東京の団地に住んでいたとき起こった。キッチンは長方形で比較的広いのだが、窓はなく、ガス器具の上の換気扇があるのみ。エアコンを取り付けていなかったから、蒸し風呂にいるみたいだった。

”パーン” という耳をつんざく音がして、キッチンに行ってみると、わたしはショックのあまり床にへたり込みそうになった。食器入れは、昔の診療所で使われていた、細くて足の長い4脚の医療器具棚を代用していた。もちろん元は白だから、油性のペイント・スプレーで黒に塗り、とても気に入っていた。 『火気と高温に注意』 と書いてあるのはもちろん知ってる。

食器入れのてっぺんは薄いベニヤ板でできていて、その上に乗せていたスプレー缶の破裂とともにベニヤ板が突き破られて、右半分に並べていた食器がことごとく破損してしまった。悪いことに、右半分のほうには、形見にいただいた岩井窯の湯呑みとかスペイン製のスープ皿とかポルトガル製のゴブレットとか、特に大切にしていたものがおさまっていたのに・・・・

天井や壁を見ると、黒のペンキが一面に飛び散って、前衛芸術家の部屋の如し。冷蔵庫にも電気釜にもそのペンキがぺったりつき、冷蔵庫は処分したが、ステインのついた電気釜は今でも使っている。よくおまわりさんが来なかったものだ (ということは以前に来たことがあるということ)。壁紙のはりかえに2万4千円費やしたことを覚えている。

食器類はグラスも含めてだが、決してペアで揃えてはいけない。結婚式の引き出物にもやめたほうが良い。いくらラブラブのふたりでも、食器類はいつかは壊れるものだ。だから気に入ったお皿なりカップを見つけたら買えるだけの数を買っておくべきなのだ。

さいたま市に住む友人宅に泊めていただいたとき、カラフルな絵柄のイタリアのお皿がたくさんあるのを見た (ブランド名が出てこない) 。指をくわえて欲しそうにしたわけではないのだが、先日、コーヒーカップ&ソーサが3組と小ぶりのパスタ皿が3枚届いて、嬉しさのあまり発狂寸前になった。NUOVA VIETRI だ!30年くらい奉公してきた働き者らだ。

いま使っている食器棚は、ディスカウント・ショップで9千円で買ったものだが、おかげさまで頑丈そうである。毎日、食器棚を開けるのが楽しみになった。カップが良いとコーヒーも美味しく感じるし、トマトとレタスだけのサラダでも、お皿がすてきだから優雅な気分になる。
# by MMAIBARA | 2006-08-27 22:08 | 最近の出来事
出遅れ人生なんのその
Ausust 25, 2006


おくばせながら、30歳のときはじめて外国の空気に触れた。平成6年の関西国際空港の開港より17年も前のことだ。向かったのはアメリカ。1週間のひとり旅で、ニューヨークからカントリー音楽のふるさとテネシー州ナッシュビルまで、グレイハウンドバスに24時間揺られて行った。地元客が夜な夜な集まる安酒場では、エルヴィス・プレスリーの物まね大会があったりした。

ジャズ発祥の地、ニューオリンズまで行こうとして現地の知人に、「危険だからやめなさい」と、さすがに止められた。英会話は当たって砕けろレベル。英語だけは好きで、家業のレコード屋の売り場が勉強場所だった。

翌年には、南米ペルーを1カ月間またひとり旅をして、フォルクローレの国に敬意を表してきた。「バイラーレ、バイラーレ、踊ろうよ!」 アンデス山脈の標高3500㍍に位置するクスコは、吸い込まれるような力があった。インカの遺跡マチュピチュの近くにアグアス・カリエンテ (温泉) があるのだが、オープンエアの浴槽から、星たちがすぐ手の届きそうなところにあって、感動で心が震えた。訪れた土地の空気や街の匂いが、次なる旅を誘った。

34歳でアメリカ留学をした。どのみち出遅れの人生だから少しだけ踏ん張ったのだ。TOEFLの試験をぎりぎりでパスして、オレゴン州立のコミュニティー・カレッジを無事卒業した。そのときの武勇伝は折々紹介しよう。オレゴンは、日本と気候が似ているし、コーストも、山陰海岸と形状がよく似ている (当然、10倍くらい広いのだが)。あれから20年以上もたつのに、今でも深い絆で結ばれ、交信をつづけているアメリカ人の友人たちがいることが嬉しい。

また手術をしなければならなくなって、日本に帰ってきたのだが、入院の前日に母が倒れ、そのまま亡くなったので、軌道修正が必要になった。というわけで、鳥取市の電気メーカーで翻訳の職を得て、37歳にしてはじめて会社勤めの生活を経験した。40歳の時、東京の特許法律事務所への就職を決めた。落ち着きのない人生のようにみえるかも知れない。思うに、両親のどちらかが生存していたら、鳥取にとどまっていただろう。
# by mmaibara | 2006-08-25 22:00 | エッセイ
え!タワーレコードが...
August 23, 2006

ニューズで、あのタワーレコードが破産したと言っている。身売りするのだろうか。どうやら、アップルコンピュータの 「iPod」 などによるネット販売の普及が原因らしいが、またひとつ音楽業界の輝かしい歴史が終わるのだろうか。

これはアメリカのタワーレコードの話で、日本のタワーレコードは、2002年にMBO (経営陣による買い取り) で独立しているから米国での破産法適用申請による影響はない、と報道されている。ということは、黄色地に TOWER RECORDS (ほんとは左に傾いたイタリック体) と書かれた袋はまだ見られるということか。LP盤がまだ主流だった頃、このど派手なレコード袋をさげて歩くのが自慢だったひとも多かろう。

ところで、タワーレコード (日本) のフリーマガジン 『musée (ミュゼ) 』 は、その中身の濃さに驚くしかない。音楽専門雑誌、「レコード芸術」、「スイング・ジャーナル」、「ニューミュージックマガジン (まだ廃刊になっていないですよね)」 のエッセンスをすべて詰め込んだような、5ミリ厚ほどの雑誌である。手元に10冊ほどあるが、元同僚で趣味を同じくする音キチが社内便で送ってくれたものである。形見になってしまったのだが....

わたしはこの頃、昔のLPレコードを、オンキョーのオーディオCDレコーダーで、CDにする作業をしている。アナログ入力なので、1曲終わるごとにポーズを押さなければならず、傍を離れられない。わたしに "ミュゼ" をプレゼントしてくれた人のように、今では入手が難しいアルバムをCDにして誰かにプレゼントするんです。アナログ人間と呼ばれたって、いいですよう。
# by mmaibara | 2006-08-23 23:57 | 映画と本と音楽の日々
川上健一の 『女神がくれた八秒』
August 21, 2006

1998年、夏の甲子園の松坂大輔くんはすごかった。今日の決勝再試合は、駒苫も早実も、どちらも優勝させてあげたいと多くの人が思っただろう。今年は、神様・王様が病気と闘っておられるので、そのエネルギーが乗り移って、女神がちょっとだけ早実に微笑んだかなあ。明日の朝刊にはどんな記事が踊るのだろう。

それで、高校球児に捧げる歌はこれだろうと思うのだ。
花 (すべての人の心に花を) 嘉納昌吉 作詞・曲 リフレインの部分

※ 泣きなさい 笑いなさい いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ

昭和44年の夏の甲子園決勝戦で松山商と対戦し延長18回を投げ抜き、0-0のまま引き分けて翌日に行われた再試合で惜敗した、青森三沢高校のピッチャーだった、かの大田幸司と投げあったことから、肩を壊し、プロを諦めて、白球を筆記用具に持ちかえた右腕が、川上健一そのひとである。

川上健一の 『翼はいつまでも』 は第17回坪田穣治文学賞受賞作で、評論家の北上次郎氏は、「目頭が熱くなる感動的な野球小説であると同時に、これは元気の出てくる中学生小説なのである」 と紹介しているが、わたしは、『女神がくれた八秒』 という表題作他12編を収録した、このスポーツ小説がたまらなく好きだ。その中の 『オールブラックスを粉砕』 を読むと、笑いすぎて生理水が目からぼろぼろでるのである。
 
# by mmaibara | 2006-08-21 20:05 | がんばれ横浜ベイスターズ
波乱の10代後半
August 19, 2006

簡単な自己紹介を、とリクエストされた。『闘病生活、愛の献血、支えはビートルズ』というサブタイトルを見たとき、我ながらドキッとした。インパクトがありすぎる。いかにも波乱万丈な感じだ。しかし事実でもある。

いまの若いひとたちのなかに元気をなくしているひとがいて、もしこのエッセイが目にとまったらいいかなと思って、素直な気持ちで書こう。アメリカと東京で暮らした20年間。生活の場を東京に置いたのは40歳のとき。そこに至るまでの話です。

高校2年の夏に体に異変が起きて、2年間の闘病生活を余儀なくされた。人生の基盤を作る前にずっこけてしまったのだ。以後、障害を残したまま今日まで生きてきたけれど、おきゃんでとっぽい性格がプラスにはたらいて、がんばってこられたのかなあ。

当時のことで覚えているのは、早朝の鈍行列車 (各停列車のことを昔はそう呼んでいた) にひとり乗り、片道5時間かけて島根県の玉造整形外科病院まで診察に行ったことと、医師から、「すぐに学校をやめて入院しなさい」 と言われたときの絶望感だった。

おりしも、実在する大学生の河野さんと、不治の病に陥った恋人の大島みち子さんとの往復書簡集を記した 『愛と死を見つめて』 がベストセラーになり、父が 「お前のはこんな病気じゃない」 と力説していた。私に振り回されて、家族のほうがどんなにかつらかっただろう。

手術には多量の輸血が必要だったのだが、全校をあげての 「愛の献血運動」 が繰り広げられた。このことは、病院のベッドの中で、新聞の写真入り記事をみて知った。7カ月後、米子の鳥取大学医学部付属病院に移され、2度目の大手術を受けた。約40名の生徒のみなさま、献血をありがとうございました。

ぐれそうな心を救ってくれたのは、家業が鳥取市内の小さなレコード屋という環境だった。ビートルズの2枚目シングル 『プリーズプリーズミー』 が日本上陸した60年代前半から、ロック、フォークの洗礼を受け、すぐあとにジャズにも夢中になった。宝物のような音楽と出会えて、それはそれで幸せな時代だったと思う。

でも、である。母が、「おまえは病気になってよかった」 とのたまったのだ。大学紛争に巻き込まれずにすんで親としてはホッとしたのだろうが、若き血はそんな説明に納得できるわけがない。

地方ながら外国の音楽が傍にある環境と、外国志向のエネルギーを蓄積して、私の20代から30代前半はかくして過ぎた。
                                            (つづく)
# by mmaibara | 2006-08-19 22:27 | エッセイ
ハマのローズと銭湯の関係
August 17, 2006

ドクターから、施す治療ももうないしタクシー代ももったいないし、温泉につかるのが一番だよと引導を渡される。ムカッときたが病歴45年ではいたしかたなし。日焼けでやられた両腕が一皮むけて (いい女になって)、昨夜は10日ぶりに銭湯へ。

こわーいこわい体重計が待ってる。ロッカー23番が空いているし、佐々木大魔神の22番も空いているが、23番に決めた。横浜ファンはローズ選手にいい夢を見させてもらったんだから。中日によろけた谷繁くんの8番は使わない。三浦大輔投手の18番は鍵が壊れているので、番台のおばちゃんにクレームをつけておいた。

名古屋から観光で砂丘にきた若い女性に遭遇した。ホテルで、日の丸温泉がいいと聞いたらしい。さっそく質問。

「すごくあつい」 って 「どえりゃあ あつい」 って言う? 「でら (でるとも聞こえる) あつい」 って言います。

「えびふりゃあ」 って言う? 「言いませんよそんなの」 。「みそカツはうみゃあの?」 「おいしいですよ」

「それじゃ聞きますけど、名古屋にどんな印象をお持ちですか?」

「世界のTOYOTAがあるじゃない」 「経済も潤ってるし、大都市でしょ?」

「田舎ですよ、田舎」 「東京とはぜんぜん違うもの」

それじゃ鳥取は、ド田舎ということになる。東京でお勤めをしていたとき、名古屋出身の女性が、「名古屋は田舎だから帰りたくない」 といっていたっけ。若い娘っ子はまちがってるぞ。

「またきてちょ!」 と、わたしは声をかけたが、彼女はわたしよりも、男湯のほうにいるボーイフレンドのことが気にかかっていたんですねえ。
# by mmaibara | 2006-08-17 19:49 | 言葉は楽しきかな
おかっぱ頭の女の子達
August 16, 2006

こどもだってカンパ~イ!だって?先々回登場してくれたイズミちゃんが、コンビニで見つけて買って来た ”こどもののみもの” あわだち飲料。サンガリアの炭酸飲料、とラベルに書いてある。いまどきこんなものが売っているのだなあ。部屋に飾ってある、昔の父とわたしのツーショット写真 (実は右の写真) をじっと見て、それからラベルのおかっぱ頭の女の子をじっと見て、首を左右にふたふりみふり 「うーん、そっくり」 というのだ。

「私のほうが可愛いよう」 と言いたいところだったが、確かに似ている。でもまあ、近所の女の子達といっしょに写っている昔の写真を見ると、どの女の子も決まったようにおかっぱ頭ではないか。わたしは3姉妹の写真を財布にいれて肌身離さず持ち歩いているが、 『この1枚』 に選んだのはおかっぱ頭の頃のものだった。

おかっぱ頭の女の子って、利発そうでもあるし、たいていブルマーのような白のパンツをはいているイメージがあって、可愛さあまってせつなくなったりもする。こうなるともうアニメの世界だ。高畑勲監督のアニメ映画、『火垂るの墓』 の節子ちゃん。何度見ても泣けてしかたがない。毎年夏には地上波TVで放映されるのに、今年はなかった。

ところで、”こどもののみもの” は、あわが出てみかけはビールのようだが、いやあさすがに甘い。しかしナチュラルな甘さだ。キッチンにあった生姜を絞って入れて飲んでみると、中学校の時に行った臨海学校で飲んだ、飴湯の生姜湯の味がした。
# by mmaibara | 2006-08-17 01:40 | 最近の出来事
急行はくと、幸せな夜、17年ぶり鳥取モード
August 15, 2006

平成16年7月31日午後5時50分、JR鳥取駅に到着。暑い日だった。17年振りの東京から故郷への帰還は、列車でゆるやかに帰ってきた。特急に乗って 「ゆるやか」 はないだろうと言われそうだが、そんな気分だった。列車が山陽本線から北にターンをとり智頭にさしかかると、午後の日差しを受けた山並みが成す深い緑にしばし抱かれて 「ビューティフル」。

東京と鳥取の往復には、飛行機を利用することが多い。飛行機に乗るのが昔から好きだった。さっそうとテイクオフし、センチメンタルな気分になる前に着いてしまうところが良いのかも知れない。今回は帰省ではなく帰郷なので、鉄道でよかったと思っている。車中で食べた懐かしの 「かに寿司」 は、エッ、こんなに酸っぱかったかなあ。

ところで、ひとつの県に東京直行便の空港がふたつもあるのは、企業・工場の誘致におおきなメリットと昔聞いたが、今はどうなのだろう。たまにしか帰省しない地元愛の薄い不届きものだったから、これからは鳥取の住民として自分で見聞きしよう。とにかくうわさ話ほど当てにならないものはない。鳥取は保守的な土地柄で未だに "村社会" (広辞苑に載っていないことばを使うなって) だから駄目だというような地元の友人のネガティブな情報も、とりあえず頭から消し去ることにする。

鳥取駅到着の場面に戻ろう。プラットホームに昔からの友人が出迎えに来てくれているのを見てホッとし、大きく深呼吸をした。直接会うのは10年振りくらいだろうか。お互い50代半ばまで生きてきて、言葉は要らない再会だった。妹と姪っ子が駅前に車で待機しており、こちらも嬉しい再会。鳥取駅前の空間はアートな装い。東京のともだちが見たら 「まあ、シティーだわね」 とでも言いそうだ。

しかし、人がいない!これが、鳥取に降り立った最初の印象だった。その夜は、これから住むことになるアパートで、飛魚 (あご) の刺身、とうふ竹輪を肴に、ビールで身内とささやかに乾杯。夏の夜のとばりが下りる中、しばし幸せであった。

この年の冬が来て、年末から降り続く山陰地方の雪の洗礼を受け、ようやく頭が鳥取モードになった気がした。

タイトルの 『とっとりマイバラッド』 は、鳥取のことを外からの視点で愛情を込めて書いてみようと考えたから。歌でいうバラッド (バラード) は哀調を帯びたスローな曲が多いが、哀愁のとっとりではありません。
# by mmaibara | 2006-08-15 12:47 | エッセイ
酒場 『飛鳥』 の夜は更けて
August 14, 2006

鳥取しゃんしゃん祭りが12日にあって、翌日13日は花火大会。例年のパターンと違うので休みを損した気分だ。わが家では節目となる法事もなく、妹とお墓に参って、父と母、ご先祖さまにお線香をあげてきた。

お盆どきの楽しみは、帰省してきた友だちとの酒盛りだ。今年の連れ (これ鳥取弁) は、真一くんとイズミちゃん。みんな50を過ぎているのだが、くんとちゃんは永遠の呼び名である。

所は鳥取市弥生町の 『飛鳥』。案内した客人がみーんなはまる店。イズミちゃんが、醇風小学校の校歌を最後まで歌い上げて、飛鳥のお母さんは感激。私の通った遷喬小学校よりも由緒があるのだといってはばからない。さっそく 「マッチー、愛しとるで!」 と携帯メールが届いた。

『飛鳥のお父さん、お母さんに、しびれた、って伝えてな。あの美味しさは、お二人のあったかいお人柄そのものだが。』 彼女は24年間の東京生活の後、現在ご主人と大阪に住んでいる。

真一くんは、昨年につづき2度目だったが、出てくる料理をことごとくデジカメにとっている。昨年来たのは7月で、私たちは飛鳥のお父さん特性のあご竹輪に舌鼓を打った。あらかじめ電話でリクエストしたものだが、手術後のからだに鞭打って2時間半かけて作ってくださったことを後で知り、しびれました。マイHP ”文華堂ほんやくサービス” の中のエッセイ 『とっとりマイバラッド Vol. 1 平成17年3月8日』 にこのときの写真を載せている。

最後に、当夜の献立を紹介しておこう。

  枝豆入りたまご豆腐
  岩がき (カレギのみじん切り、もみじおろし、ポン酢)
  茄子とずいきのうま煮
  バイ貝と大根のうま煮
  白イカの刺身
  いわしのフライ&山椒の葉とヨモギのてんぷら (死ぬほど美味しかった)
  ボイルド・スパイシーウインナソーセージ
  夏野菜のスープ (上記ウインナソーセージの煮汁をベースに塩・コショウしたもの)
  まだ他にも食したような・・・・
    
飲み物は、生ビールで乾杯して、冷酒と焼ちゅうのライム割り。

そのあと拙宅で、DVD音楽ドキュメンタリー ”ライトニング・イン・ア・ボトル” を見て、オーイエイ!オーイエイ!至福の夜だった。
# by mmaibara | 2006-08-14 22:32 | 最近の出来事
時代劇専門チャンネル三昧
August 10, 2006

昨年11月に、何気なくチャンネルを回してから、すっかりはまってしまった時代劇。昔は大嫌いだったチャンバラ物。原作に惹かれたものだけ見ていたが、今は節操なくほとんど見る始末。やはり年をとったせいだろうか。

ムコ殿の 『必殺シリーズ』 の藤田まことは、『剣客商売』 の秋山小兵衛役よりもずっといい。『水戸黄門』 なら西村晃。中村吉右衛門の 『鬼平犯科帳』 は、池波正太郎が脚本に手を入れた初期のものが特によい。山本周五郎と藤沢周平のものは、ドラマ化されても原作に負けず劣らず優れている。

大川橋蔵と市川雷蔵のご両人はもう圧巻としか言いようがない。毎日見るのは、ご存知、大川橋蔵の 『銭形平次』。朝5時にぱっと目が覚めるのだ。見終わってから朝刊を読むのだが、ふつう逆だろう。何やってんだろうわたし。

村松友視 [著] の雷蔵好み が集英社文庫で発売になったから買いです。
# by mmaibara | 2006-08-11 01:57 | 最近の出来事
どすこい、と城島選手は言うのだろうか
August 8, 2006

先週末の夜遅くに、城島健司選手が大リーグ移籍後の半年間を追ったドキュメンタリーが放映された (NHKはこの手の番組が得意)。最後のほうで、シアトル・マリナーズの43歳左腕ジェイミー・モイヤー投手のインタビューが興味深くて、まずい、これは再放送をみなくちゃあ。(19日に、モイヤー投手がフィリーズに放出されることが発表され、うーん残念)

アメリカのニューズペーパーが、写真入で城島選手を取り上げていた (The New York Times だったかシアトルの新聞だったか忘れた)。見出しは:

"Jojima's Play Bridges Communication Gap."

衛星放送でMLBをよく見るのだが、城島捕手は、 「さあ来い!」 というしぐさが堂々としていてかっこいいなあ。フィジカルも強いし、ほんと 「どすこい」 って感じだ。彼は英語がうまくなると思う。

そういえば、外国人力士は、日本語の上達がはやい。短期集中コースで学んだわけでもあるまい。生活がかかっているのだ。からだで表現することは、赤ちゃんの時からわたしたちは学んでいる。わかいこたちは、携帯メールの絵文字であそぶよりも、からだを使ってあそぼうよ!

「どすこい」 って、英語でどう言えばいいかな? "DOSUKOI" をそのまま英語化してしまおう。
# by mmaibara | 2006-08-08 20:54 | 言葉は楽しきかな
アジアン・ビューティ?
August 7, 2006

6月7月は湿気を呪った。特に持病のあるひとにとっては、わたしを含め、からだのパーツが分解しそうで、たまらない季節だ。そして8月のうだる暑さに頭がボーっとしている。虫たちもぐったり。アパートの6階にあるわたしの部屋まで侵入してくるパワーもない。

湿気が良い方に働くのは、女性のお肌くらいなものだ。実際、すっぴんでも、鳥取はきれいなおねえさんが多いように思う。子供の喘息を治すために家族で鳥取に越してきたかたもいるとか。

「でも私たちのアジアン・ビューティはこの湿気のお陰らしいから許してあげなくては」 と、しゃれたことを言うプラス思考の友人がいる。

日の丸温泉 (銭湯) に行くつもりだったが、炎天下での鳥取キタロウズ vs. 茨城ゴールデン・ゴールズの交流試合を見にいき、真っ赤に焼けた皮膚がまだひりひりして、今夜も水風呂で我慢です。
# by mmaibara | 2006-08-07 20:12 | 最近の出来事
アメリカのFM放送で聴いた歌
August 6, 2006

『ふるさとの町焼かれ 身よりの骨埋めし焼け土に 今は白い花咲く 
ああ 許すまじ 原爆を 三度許すまじ 原爆を 我らの空に』

ロサンゼルスオリンピックが開催された年だったから1984年のことだ。当時わたしは、アメリカ・オレゴン州の大学に留学していて、保険会社の社長宅のガラージの2階に住んでいた。庭の芝刈りと、ピカデリーという老犬の世話と、保険会社のオフィスの清掃を条件に、ただで住まわせてもらって週給120ドル (当時は1ドル340円の時代) を稼いでいた。

オフィスの清掃は週2回。ある日、ノンコマーシャルのFMラジオを聞きながら鼻歌まじりで掃除をしていたとき、日本語の歌が聞こえてきてドキッとしたのだ。それが、『ふるさとの町焼れ・・・・』 だった。ベトナム戦争後も反戦グループ活動が続いていて、日系のひとたちも活動に参加していたのだと思う。

しかし、日本のFMステーションではありえないことだと思うと、アメリカはやっぱりふところが深い。このFMステーションはとてもユニークで、ラジオで 「10ドルの寄付を!」 と訴えていた。「ああ今、ガラスが叩き壊されているところです。この音をお聞きになってどうか寄付を!」

留学が昔よりもずっとずっと自由になった昨今で、こんな経験ができるだろうか。1945年8月6日、広島に原爆が落ちた。 『三度許すまじ・・・』 を、”二度と許すまじ” と間違って覚えていて、"No More Wars" という意味においては当たっていますね。
# by mmaibara | 2006-08-06 12:57 | 最近の出来事
スーパーカートリオ
August 5, 2006

<A新聞コラム・ハーフタイムより>
 80年代にプロ野球大洋の「スーパーカートリオ」として活躍した高木豊、加藤博一、屋鋪要の横浜OB3氏が、7月16日、広島OBの川口和久-達川光男両氏のバッテリーと盗塁対決をした。

 横浜-広島戦の前に行われたイベント。スーパーカートリオとは当時の近藤貞雄監督が俊足の3人を売り出そうと名づけた。この日はまず、高木が二盗失敗。加藤が川口の牽制 (けんせい) に刺され、「約束が違う」 と怒ってファンを笑わせた。最後に屋鋪が二盗を決めた。

 「やっぱり屋鋪は足が速い」 と達川。加藤は 「近藤監督が生きていたら『お前らも衰えたな。耕運機トリオだ』 と言うんじゃないかな」。

◇ ◇ ◇
近藤監督がホエールズの監督をされていたのは、1985年から1986年の2年間 (両年とも4位)。今年1月にお亡くなりになった近藤貞雄監督、粋なお方でしたね。ご冥福をお祈りいたします。
# by mmaibara | 2006-08-06 11:42 | がんばれ横浜ベイスターズ
鳥取キタロウズ VS 茨城ゴールデンゴールズ
August 5, 2005

約6000人が詰めかけたこの交流戦を、3塁側ダッグアウトの上に陣取って観戦した。鳥取キタロウズはホームチームなのになぜ1塁側ではないのだろう。しかしこの席取りは悪くはない。全体がよく見渡せるし、監督や選手の話していることが聞こえるのだ。

真夏の炎天下。試合は午後1時開始だったが、1時間前から席に座って、野球帽、半そでT-シャツ、短パンは失敗だったと気がついた。肌が露出している部分が、みるみる真っ赤になったがあとの祭り。むぎわら帽子の下にタオルをして日よけをしていた方が大勢いたが、このスタイルは兵隊さんを連想させるので、わたしはしたくはなかった。

ちびっこたちがたくさんきていたが、やはり欽ちゃん見たさだろう。欽ちゃんのマイクパーフォーマンスにみんないっせいに喜ぶ。人を喜ばせることにかけては百戦錬磨の欽チャンだから、地元のイベント関係者にとっては、進行面で大いに参考になったのではなかろうか。

4回裏、片山県知事がキタロウズのユニフォーム姿で登板され、代打は欽ちゃん。片山知事は低めにコントロールされた球を投げられ、サードゴロに打ち取ってお上手だった。

元プロ野球選手の川口和久氏、加藤伸一氏はそれぞれキタロウズの総監督、監督だが、彼らのピッチングも見られた。往年のスピードはないがやっぱり華がある。これからは選手の育成に尽力されるだろう。イニングの間に、川口氏が選手に 「ビシッといけ!」 と声をかけたのが聞こえた。顔が真剣だった。

川口和久氏は、広島カープとFAで移籍したジャイアンツでも第一線の投手だった。いまでも、プロ野球解説者としてTVでみうけるが、地元愛を持たれているのを知って嬉しいです。
# by mmaibara | 2006-08-06 11:32 | 最近の出来事
ハマの番長と洗濯機
August 3, 2006

このカテゴリは、横浜ベイスターズのことのみならず、大リーグや日本野球について書くコーナーです。写真は、1998年に日本一になったときの、権藤博監督のもと、コーチ、選手の名前が刻まれている盾である。毎年、年間シートをたくさん買う顧客に配られるもの。ある作戦をたて、苦労の末手に入れた。地震、雷、火事が起こったときすぐ持ち出せるところに飾っているお宝なのである。

中日ドラゴンズに2連勝。めでたしめでたし。三浦大輔投手は中5日のローテンションで頑張っているので偉い。今期3度目の無四球完投も偉いなあ。と書いている間に、3戦目の先発、ルーキーの山口俊くんが3回表までで、すでに0-6と炎上。何事も経験だ。お父さんが元関取で、山口くんは幼少の頃から股割りのトレーニングをしていたというから、将来が楽しみ。

谷繁くん、スリムになりましたね。わたしは、横浜ベイスターズから他球団に行った人も応援している。いつか監督として横浜に帰ってきて。同じく中日のデニー友利投手、楽天のクローザーの福盛投手、西武の石井義人内野手など。種ダンスは歓迎のしるしです。波留コーチお帰りなさい。

メイジャーリーグ・ブリューワーズの大家友和投手、向こうっ気がいいねえ。ドジャースの斉藤隆投手、日本にいた頃はいつも股関節痛に悩んでいたのに、ロスの湿気のない気候が合うってか。

今年のオールスターズ第1戦で好投し、賞金を獲得した三浦投手のインタビューに感動。「9年前に出場してもらった洗濯機が古くなったのでそろそろ買い換えないと」 また好きになる。選手を ”くん付け” で呼ばせてもらっているのは、わたしの年代では、現役選手のほとんどが息子や孫のような存在だからである。孫って可愛いもんでしょ。
# by mmaibara | 2006-08-02 16:47 | がんばれ横浜ベイスターズ
プロローグ
August 2, 2006



“とっとりマイバラッド” は、平成17年3月8日から平成18年6月21日までまで38回にわたり、産経新聞鳥取版に連載されたエッセイです。

ある夜、幼なじみと行った鳥取市内のすし屋さんで、焼ちゅうを飲んでいた男性と隣合わせになったばっかりに、エッセイの掲載が始まった。その男性が、産経新聞鳥取支局長とはつゆ知らず。

「エッセイ書きませんか?」 
「えっ!私ごときがそんなおおそれたことを・・・・・・」
うむむむ。 「今失業中で時間があるから挑戦してみます」

「コラムぜひやりましょう。楽しみにしてます」 と、いただいた年賀状に書いてあった。 「タイトル、考えてくださいね。サブタイトルは、大阪支局の整理さんが担当します」

支局長は、西島俊哉さんといって、わたしよりもひと回り以上若い。現在は、広島支局長である。西島さんから面白いと言っていただけるのを支えに書いたので、このエッセイは彼に捧げるものです。

このタイトルは、最初のミーティングに向かう途中で考えた。“とっとりマイバラッド” は、ひらがな・カタカナの組み合わせで、声に出すとゴロが良い。大好きな作家の本のタイトルのパクリでもある。トップのイラストも、大阪支局の整理さんからいただいた。ただし音符は、貝殻節のさわりに変えていただいた。鳥取といえばやはり、貝殻節でしょ。

エッセイ、“とっとりマイバラッドⅡ” は、オリジナルに加筆したもの。新聞の掲載文はスペースに限りがあり、書き切れなかった部分を加えました。

最後に、タイトルについて、友人から来たコメントを紹介しておきます。
◇ ◇ ◇
> とっとりマイバラッド、ってなかなかのタイトルだね。
> 見た目も左半分のひらがなと右半分のカタカナのバランスがいいし
> 音も、前と後ろに促音がひとつずつあって。
> 真中に「マイ」が入ることろは、「エリーマイラブ」 「ハローマイラブ」 などを
> 連想するので、サザンオールスターズの唄が少し響いたりもしました。
> 千ternal Sunshine of
>        the Spotless Mind
◇ ◇ ◇
彼は、千星健という。今年の3月7日に赴任先のオランダ・アムステルダムで急死した。42歳だった。もう読んでもらえないのがほんとうに悔しい。最後のところは、彼のチャレンジでしょう。

                                   増田マチ
                                   
# by mmaibara | 2006-08-02 11:06 | エッセイ
はじめまして増田マチです
August 1, 2006

みなさまこんにちわ。

平成17年3月8日から平成18年6月21日まで、産経新聞鳥取版に掲載されたエッセイ 『とっとりマイバラッド』 をベースに、鳥取のさまざまな事象をつづっていきます。

音楽大好き、本大好き、映画大好き、横浜ベイスターズ大好き、それからお酒も。雑学にいそしみ、脱力人生で心豊かにと、60歳を目前にして思うこのごろです。
# by mmaibara | 2006-08-02 01:33 | 最近の出来事
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