July 31, 2007 & August 1, 2007
昨年10月26日を最後に、ブログを書くのを中断してしまった。友人、知人からムチが入りやっと復活です!この間、私は還暦を迎えました。は~るばるっ来たぜ60歳、と思ったのだが、父方の叔母は100歳で、おおきく負けている。先日会いに行ったとき、記憶力は抜群だったし、美人だし、死ぬ気がぜんぜんしないといわれて、おそれいりたてまつった。

写真は、マイルームの壁に貼ってあるレコードのジャケット10枚。こうしておくと、タバコのヤニが壁につかないのだ。訪ねて来るひとは、だいたい3枚くらいしか認識できない。どれも30年以上前のものだもの。
さて、3年前の7月31日、わたしは東京から故郷鳥取へ約17年ぶりに帰ってきた。それから同じ風景を見てきたのに、まだ私の知っているとっとりではないのだ。その日のことを書いた、第一回目の 『とっとりマイバラッド』 (産経新聞鳥取版に掲載)のおさらいをしてみようとおもう。行間が現在の感想です。
******
急行はくと。幸せな夜。17年ぶり鳥取モード 
平成16年7月31日午後5時50分、JR鳥取駅に到着。暑い日だった。17年振りの東京から故郷への帰還は、列車でゆるやかに帰ってきた。特急に乗って 「ゆるやか」 はないだろうと言われそうだが、そんな気分だった。列車が山陽本線から北にターンをとり智頭にさしかかると、午後の日差しを受けた山並みが成す深い緑にしばし抱かれて 「ビューティフル」。
深い緑は、雨の多い山陰地方の気候が織り成す重厚な美だと今でも思う。本当に、"beautiful!" って言ったのです。その響きは、英語の中で最も美しい言葉だと私は思っている。東京と鳥取の往復には、飛行機を利用することが多い。飛行機に乗るのが昔から好きだった。さっそうとテイクオフし、センチメンタルな気分になる前に着いてしまうところが良いのかも知れない。今回は帰省ではなく帰郷なので、鉄道でよかったと思っている。車中で食べた懐かしの 「かに寿司」 は、エッ、こんなに酸っぱかったかなあ。
夏は食べ物が弱りやすいからだと後で気が付いた。焼きさばの入った同社の幕の内弁当が本当に美味いのだって。ところで、ひとつの県に東京直行便の空港がふたつもあるのは、企業・工場の誘致におおきなメリットと昔聞いたが、今はどうなのだろう。たまにしか帰省しない地元愛の薄い不届きものだったから、これからは鳥取の住民として自分で見聞きしよう。とにかくうわさ話ほど当てにならないものはない。鳥取は保守的な土地柄で未だに "村社会" (広辞苑に載っていないことばを使うなって) だから駄目だというような地元の友人のネガティブな情報も、とりあえず頭から消し去ることにする。
嘘ではないが面白くもなんともないです。米子に住む青年は、美保基地があるからだって教えてくれた。鳥取駅到着の場面に戻ろう。プラットホームに昔からの友人が出迎えに来てくれているのを見てホッとし、大きく深呼吸をした。直接会うのは10年振りくらいだろうか。お互い50代半ばまで生きてきて、言葉は要らない再会だった。妹と姪っ子が駅前に車で待機しており、こちらも嬉しい再会。鳥取駅前の空間はアートな装い。東京のともだちが見たら 「まあ、シティーだわね」 とでも言いそうだ。
JR米子駅のホームには、2000年の西部地震の傷跡がいまだ残っていて悲しく思った。倉吉駅は地方の駅らしさがあってほっとした。鳥取駅は県庁所在地だからか、ちょっと気取りすぎです。えらそうに。
しかし、人がいない!これが、鳥取に降り立った最初の印象だった。その夜は、これから住むことになるアパートで、飛魚 (あご) の刺身、とうふ竹輪を肴に、ビールで妹たちとささやかに乾杯。夏の夜のとばりが下りる中、しばし幸せであった。
ほんとに人がいなくて、ただ事ではないぞとあらためて感じた瞬間だった。私は3年間の職探しで、ないないづくしだった。それでも発想の転換が必要だ。何より全国に誇れる自然環境がここにはある。この年の冬が来て、年末から降り続く山陰地方の雪の洗礼を受け、ようやく頭が鳥取モードになった気がした。
雪を見て、ほんとうにふるさとに帰ったのだと実感した。Uターン組は、新年度を秋頃から迎えると、定着するための心の準備ができていいと思うのだが。タイトルの 『とっとりマイバラッド』 は、鳥取のことを外からの視点で愛情を込めて書いてみようと考えたから。歌でいうバラッド (バラード) は哀調を帯びたスローな曲のことを言うのだが、哀愁のとっとりではありません。
愛情の中には意地悪も入っているし、正直、"哀愁のとっとり" でいいのではないかと思っていた。******